永井家の中庭と門

永井家について

永井家とは

永井善太郎

永井 善太郎

永井家は、戦国時代には箕輪城主長野業尚や小田原の北条氏に仕え、井伊直政が箕輪城から高崎に移転したときに箕輪城下の人々も高崎に移転し、その後、江戸幕府が命じた、中山道の整備計画の一環として作られた坂本宿に移住し、脇本陣・宿役人・旅籠屋など行っていたと考えられます。

明治期に入ると旅籠屋を廃業し、穀物・呉服など幅広く商品を扱う商店を開設、さらには林業、養蚕なども行ってきました。

また、戸長・町長なども務め坂本の発展のために寄与し、基督教講義所を開設し、キリスト教日曜学校なども大正の末期ころまで行っていました。

永井善太郎の略歴

1847年(弘化4年)永井善太郎誕生。両親を幼いころに亡くし祖父善左衛門に育てられる
1851年(嘉永5年)永井善太郎の父、永井仲次郎27歳で没
1870年頃(明治初期)旅籠業を廃業し、永井商店設立
1873年(明治6年)副戸長となる
1878年(明治11年)明治天皇北陸・東海御巡幸の際に、明治天皇御小休み処所(栗ヶ原)の責任者を務める
1879年(明治12年)坂本戸長となる
1887年(明治20年)家が類焼
1888年(明治21年)明治天皇御巡幸時の御小休み建屋を購入、移築。湯の川(現・霧積温泉付近)別荘地の開発・水谷の開拓事業
1889年(明治22年)基督教講義所開設
1890年(明治23年)養蚕の振興のため紅葉組として碓氷社に加盟
1893年(明治26年)町長・坂本小学校学務員
1904年(明治37年)原市教会で受洗
1909年(明治42年)群会議員となる
1910年(明治43年)西毛電気監査役となる
1923年(大正12年)77歳で逝去